★================================================================★

      「品性・経営・人生」 Vol.141  2009/04/08 読者数 411名
★================================================================★

企業永続の秘密を「石川酒造文書」に探る(1)

経営コンサルタントの中島セイジ氏を通して「多満(たま)自慢 石川酒造
文書」の存在を知った。全部で9巻あるが、早速その最終巻を入手して眼を
通した。本号と次号では、その紹介をしながら、企業永続の秘密を探りたい。

東京都福生市に「多満(たま)自慢」という銘柄の日本酒がある。酒造元を
石川酒造と呼ぶが、この家は400年以上も続く、福生きっての名家である。
元和元年(1615)に初代石川家の過去帳があり、そのあと江戸時代を通
して地元の名主として栄えた。そして、幕末の文久3年(1863)に第1
3代当主が造り酒屋をはじめ、それが現在の第18代まで続いている。

驚くのは、18代にわたる当主がみな日記を残しており、それが全9巻のい
ずれも大部な「多満自慢 石川酒造文書」として発刊されていることである。
この文書は昭和52年以来、20年間をかけて少しずつ解読・整理され、公
刊されたものである。筆者が読んだ最終巻とは、昭和22年から昭和52年
まで第16代当主であった石川眞作氏の日記である。

まず、昭和22年1月16日の一部を紹介する。このころは戦後間もないと
きであり、アメリカによる占領政策が本格化した年である。ときに眞作氏は
42歳だが、地元の名家だけに、それまでに現福生市の主要な役職をすべて
歴任していた。そのため、眞作氏は自分の公職追放が必至であり、かつ何も
かもが急速に変わっていくこと、そして極度の経済的困難がやってくること
を覚悟していた。

“いよいよ財産税に関する申告書が役場から配布になった。戦後における前
古未曾有の大税の申告の日が近づいたわけだ。まだ何も調査していない。一
体いくら納付すればよいかも調べていない。これを納付することによって石
川家の財政は大きく転換してくるわけだ。今までの旦那風は抜本的に解消せ
ねばならない。

しかし、それが簡単に出来ようか。せねばならない。それは早く商人になる
ことなのだ。酒以外にも一つの営業を持つことだと思う。

税金を出して貧乏になっても、どこまでも商人としての信用確保、村民社会
人としての信用確保は、まさに紳士的行動でなければならない。

社会が悪い、社会が悪いから、俺も悪くならねば生きられない、と世人はみ
な言う。小生もそれを幾度思ったろう。

自分だけは清浄でいようと思って戦争中ずっと7年間守ってきた。ヤミもや
らなかった。正しき生活の上に強い基礎が立つのだ、と言ってきた。供出も
率先してやった。貯金も公債消化も、公職も。

しかし、これはみな無駄になった。政府の命に背いたものは金も儲けた。追
放にもならなかった。新円の春にほくそ笑んでいる。

自分もやろう、ヤミもやろう、新規事業でボロイ儲けもやろう、と思った。
しかし、やらない内に自己の良心はまた清らかに行け、と教えてくれる。イ
ンチキの商売でボロイ儲けをするよりも親切な良心的な商売によって長い信
用を築けと教える。人が良心的ならざるとき良心的になることが、永い信用
確保の第一の道だということを教える。

良品を廉価に、が商人にとっては唯一無二の格言であることは社会状態の如
何によって変わってはならないものだ。巾着切りはどんな時勢にも悪いこと
なのだから。

今までの石川家と今後の石川家はウンと違ってくる。しかし、悪いことによっ
て生活することではなく、より能率的な行動によって今までより減ずるであ
ろう収入をカバーする以外にはないのだ。

酒も物々交換もやらなかったのではない。しかし、自家用の認められた範囲
において僅かやることは赦して貰わねばならない。最小限度にも生きる方法
は立てねばならないからだ。これさえも私の胸はウズク痛さを覚える。

青年団運動の十余年間はあまりにも自分を潔癖にしたと人は言う。しかし、
商人として社会人の真理の道を歩むことが念願なのだ。

こんな経済界の変調のときには、ときに間違うことがあるかもしれない。し
かし、間違わざるよう、反省だけは持ちたいものだ。

終戦後やがて来るだろう公職追放に備えて、昨冬から写経用紙も買った。印
刻刀も研いた。寺歩きもしたい、敬仰する師にも逢いたい、と心の修養の道
を考えた。

押し寄せるインフレと高税金、高賃金の嵐と、財産税に経済的な将来への悩
みも持っている。この二つを如何に調整して、信ずる真理の道を歩むかが今
後の課題なのだ。この矛盾が矛盾でないような道が出てこねばならない訳だ。
この道を探そう。そこらにあてなく探してもないことは解っている。踏み分
けてこそ探される道だと思う。”

ここまでが真作氏日記の昭和22年1月26日分である。長くなるので、続
きは次号で。

+-+-+-+-「品性・経営・人生」メールマガジン -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

★発行者:田原道夫
★登録・登録解除:http://www.hinkeijin.jp
★ご意見ご感想:「品性・経営・人生」メールマガジン
  メールアドレス:m-tahara@hinkeijin.jp

掲載された記事を許可なく転載することを禁じます。
 Copyright(c) 2007-2009 田原道夫 All rights reserved.
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-